2013年12月9日月曜日

腹痛(ってわけでも無いか…)

 土曜にX-FLYの忘年会、日曜はリアルカイトの忘年会に出席して、食べつけない上等な品を食したせいか、今朝からお腹が不調。痛いわけでは無いけど、お腹を下していて、微熱があるようなけだるさで、体に力が入らない。あ〜こりゃ、あれだ、1996年のカステホン・ド・ソスで出くわしたあの症状の軽い奴だ。と気がついたので、コーラと炭酸水を買い込んで来て、さきほどからベッドに横になっている。で、ふと思い出したそのカステホン・ド・ソスでのエピソードが、これまた、大変だったのを思い出して、面白いから、いっちょ書き残しておくかと筆を取った次第。

 その年、僕は翌年に迫った1997年の世界選手権に備えて、開催予定地で行われたカステホン・ド・ソスのプレ・ワールド・チャンピオンシップに参加していた。天候にあまり恵まれる事が無かったこの大会では、最終日を明日に控え、まだ2ヒートしか成立していなかったが、翌日は競技が出来そうな予報が出ていた。ちなみに、僕ともう一人の日本人パイロットを除く他の日本人選手は飛行機の予定がどうにも折り合わず、最終日のフライトは放棄して、明日早朝に宿を発つ予定。当然のことながら、最後の夜はみんなで一緒に食事をして、明日帰国するメンツをからかったり、健闘を約束したりと楽しい夜を過ごした。もともと、スペインの食事が舌に合う僕は魚料理を頼んで、白身の川魚のワイン蒸しと思しき料理に舌鼓を売っていたわけだが、多分、これがいけなかった。

 翌朝、起きてみるとなんだか体が妙に重い。ずしんと腹に来る鈍痛とも、なんとも言えない重苦しさにトイレに行って見るも、下痢が便秘という感じの、なんとも苦しい状態。小腸が消化の働きを放棄しているもので、昨日食べたなにやら良くないものが、いつまでも腹の中に留まって、そんなわけだからトイレに行っても水しか出ないという大変苦しい状態。体中の力という力が全部お腹から抜けていってしまう感じで、とても数十キロもあるパラグライダー一式を担いで競技に参加する事など出来そうも無い勢い。

 しかし、ヨーロッパでのパラグライダー競技はたいがい、昼前後に競技が始まるので、朝はたっぷりと時間がある。ここは有り余る時間が味方とばかりに、ちょっと動いては休みを入れながら、いつもの3倍くらいスローに準備して競技会場へと向かった。パラグライダーの競技は通常だだっ広いテイクオフに思い思いにパラグライダーをセット、ゲートと呼ばれるテイクオフOKの時間に離陸して、スタートパイロン近くの空中で待機しながらレースがスタートするのを待つというのが、この当時の進行パターン。通常、ゲートは1時間くらい空いているのだけど、普段の競技では、僕はすぐには上げずに、あちこち移動して、その日のサーマルの出方や低い位置、高い位置での働きを確認してからスタートパイロンに移動するようにしていた。だから、普通だったらオープンと同時に離陸するのが常なのだが、この時はとてもそんな気力も体力も無し。ゲートが開くまでの時間をまるまる使ってグライダーをセットした後は使い果たした体力をハーネスの中でゆっくり養い、なんとかテイクオフ出来たのは1時間のオープンタイムのまるまる30分経ってから。で、苦行はテイクオフした後も収まらず。オーガナイザーのセットしたスタートパイロンはスーパーイージーで、ドンぴしゃの位置までたどり着くのに10分とかからなかった。雲の下で雲中飛行にならないよう、ぎりぎりの位置を飛びながら、「早く開いてさっさと終わりにしようぜ!」と内心毒づきながらレースがスタートするのを待っていたのだった。いや、ホントこの時の最後の数分とか、どれだけ永く感じられた事か。でも、閉じられたスタートパイロンがV字型に開き、それをカメラに納めてからゴールラインをカットするまでの数時間、(人間の体ってのはホントに不思議)すっかりお腹の具合が悪かった事など意識から飛んで、あまつさえ、盆地の山周り組を尻目に平地直進のショートカットを敢行して、セカンドパイロンはトップで回る好調ぶり。この後、一回しくじって地上数十m。もう一回でも右手のブレークコードに感じている確かなサーマルの感覚を逃してしまったら間違い無くランディング! というような場面でも、これっぽっちも「さっさと降りて体を休めたい。」とか「トイレ行きたい」とかの雑念が入り込んでくることは無かったのでした。余談ですが、永いパラグライダー人生の中で何度か遭遇したこういう、ワンミスで終わり、ひどい場合にはワンミス即死亡というような状況でグライダーを操作している時って、全く割引すること無い自分の全力を投入している実感があって、実はものすごく充実していたりするのです。たぶん、これは他のスポーツやアクティビティや生死の境を生還したひとにも言えるんじゃないかな。いざとなると人間ってすごい力を発揮するものです。

で、結局このヒートはトップに5分くらい遅れて10位でゴールして、順位をだいぶ挽回したのですが、問題は降りた後。地面に立った瞬間体力が全然残っていない事に気付きました…。しばらく、木陰でグライダーを畳むでも無くぐったり休んで数時間は動けなかった記憶があります。

 大会はこの日が最終日。オーガナイザーは午後9時から閉会式をやるっていうから、そのままランディングで待つことしばし、僕のフライトは翌日の午後遅くで、バルセロナまで車に便乗させる約束の他の日本人選手のフライトは明日早朝。てことは、今夜夜通しバルセロナまで運転して、明日は一日この体調でバルセロナ滞在か…と想像すると頭がクラクラしてきた。案の定、9時から始めると言われた閉会式は10時になっても始まらず(スペイン人の常ですが、当時は僕も初心だった)、一足早く始まったバーベキューも舌は美味しい事を理解しているが胃が受け付けず。とうとう、11時過ぎにはあきらめてバルセロナに向かう事にした。カステ・ホン・ド・ソスからバルセロナは約300km。これ以上引っ張ると下手をすると相方の飛行機に間に合わないかもしれないからだ。

 バルセロナには早朝に到着。相方を空港に降ろして、その後がまた地獄だった。この頃にはすっかり具合が悪くなって、明らかに熱がある感じで、集中力も途切れがち、そもそも、自分の体がどうなっているのか判らないのが不安で、居ても立っても居られなかった。で、一縷の救いを求めて向かったのは、とあるバルセロナのゲストハウス。実は同時期に転職を控えて充電期間と称してヨーロッパを一人旅していたパラフライヤーの女の子から宿泊先のネームカードをもらっていたのでした。でも想像してみて欲しい、ただでさえ道路が複雑で運転が荒いバルセロナの街で、まだ携帯もナビも無い時代、徹夜明けで体調最悪の僕が朦朧とする頭で住所だけを便りに一件のゲストハウスにたどり着くのがいかに大変だったか、そして、呼び鈴に応じた主人が日本語を喋ってくれて、部屋に居たその子が迎えに来てくれた時にいかに、その子が”女神”に見えた事か! 体裁や礼儀は一切捨てて、どこでも良いからとにかく横になれるところで休ませてくれ! という嫁入り前の娘にそうそう言う事の出来ないセリフを口にして、ここで、ようやくひとときの安息を得たのでした。鬼ちゃん、あのときは本っ当にありがとうね! 

その後体力が少し戻ったところでゲストハウスのご主人が連絡してくれた医者に行き、診断してもらうと、たぶん食あたりだろうとの事。食欲が出るまでとにかく水だけ飲んでろと言われ、実際その日の夜の帰国便中はおろか、帰国後もまる一日くらいは何も食べなかった。

後日医者の友人にこの時のエピソードを話したところ、集中している時は交感神経が活性化して、小腸の動きが収まるので、楽だったのだろうとの事。なるほど、人間は意識の生き物だなと感心したものでした。そんなわけで、ベッドでも出来る集中出来る事は何かと探して、今このブログを書いている次第です。おかげでさっきからだいぶ具合が良くなってきました。