2012年11月1日木曜日

ティーンエイジャーの頃入れあげた往年アイドルの復活コンサートに女房を誘えるか!

「今日、映画の日だから映画見てから海に行く。」
「え?! 自分一人で行くの?」
 女房は不満気な様子。どうも、映画はどうでもいいけど、一緒に出かけたかったらしい。言われてみれば、子供も連れずに映画を見に行くのに、家に居る女房を誘わないというのも失礼な話だ。しかし、大変申し訳ない事に、この映画を見に行くにあたって、僕の頭には女房や子供を誘うという発想は、最初から、はっきり、金輪際、これぇぇっぽっちも、全く無かった。だって、考えてもみて欲しい。あなたがティーンエイジャーの頃、夢中になっていたアイドル・グループ(たとえばキャンディーズとか)が居たとする。彼女らが、復活コンサートをやることになったとして、懐かしさと、わくわく感を胸にコンサートに行こうという日に女房や子供を誘えるか? そんな、思いを胸に今日僕は「009 Re:サイボーグ」を観てきた。

 「サイボーグ009」は「長靴をはいた猫」と相前後して幼年期に観た僕の映画の原体験といっていい作品の一つだ。長じて石ノ森章太郎氏の原作に魅せられ、僕の最愛の古典SFマンガの一つともなっているのだが、80年代から90年代に濫造された、カラー・リメイク作品にはどれ一つとして胸躍らされるものが無かった。当時から小馬鹿にしまくって、あまり真剣に観ていなかったから、今では何が気に入らなかったのかすら、はっきりとは思い出せないが、漠とした印象では、個々のキャラクターが全く掘り下げられずに、秀逸なオリジナルのキャラ設定におんぶにだっこの作品ばかりだったように思う。

 この作品は、基本設定は活かしつつ、現代人のリテラシーに叶った、新しい”009”を作り直そうというコンセプトが、タイトルや、トレーラーから明瞭に見てとれる点で期待していた。実はこれまでだって、009はそれぞれの時代に合わせて、その姿を変えてきた。たとえば008の顔などは、現代の社会常識の下では、とてもオリジナルのまま描くことなど不可能だ。でも、かつては、そういった一部だけを、あれこれ手直ししていたものだから、そこだけが目立ってしまって、"違う”という印象が先に立ってしまっていた。この作品で成功しているのは、ほとんどいじらなくても良さそうなキャラクターまで、全部手直しして変えちゃった結果、かえって、全体としての009の世界観がちゃんと統合された形で引き継がれている点だと思う。

 最近、古典的作品を実に見事にリメイクしたいくつかの作品に出会って、リメイクの成否はいったいどこにかかっているのか? という事を考える機会があった。たとえば、J.J.エイブラムスの「スタートレック」とか「ダークナイト」シリーズとかは、2012年に生きる僕らが観て、なんらおかしくない世界観の中で、オリジナルの設定をなんら破綻させる事無く、全く新しい物語を紡いでいる。ところが、我が国の「スペース・バトルシップ・ヤマト」のごときは、もう女子供にすら笑われる惨憺たる仕上がりだ。そのとき出した僕の結論は、作家がオリジナルとの関係を、どのように精算して、何を切り捨て、何を取り入れるかという、「オリジナルとの距離感」を、始めにどれだけしっかりと設定できているかというものだった。

 この「009 Re:サイボーグ」はそのタイトル、トレーラー、キャッチコピーからも、作家が、その一点をいかに大事に考えて、この作品を作ったのかが窺えたので、製作発表の段階から実に楽しみだった。そして、本日本編を見る機会を得て、期待は実に快く満足させられた。というか、期待以上だった。いや、本当にこんなにかっこいいジョーやフランソワーヌ、ジェットやアルベルトに出会えるなんて、期待していなかった。初めて白い(古い作品では009のみ白)ユニフォームに身を包んだ009に出会った時の幼年期のときめきを思い出したかのようだった。

 ストーリーや設定も現代風に改められていた。現代の戦い方の常識を踏まえ、かつては、前線の斥候役くらいの立場でしか無かった003が、作戦の中枢で、戦いの要になっているあたりが「ああ、設定を良く練り込んだんだなぁ」と感心させられる。で、ちょっと身の丈を越えてるんじゃない? って感じで、青臭く、神やら正義やら人類の未来やらを語ってしまうのも原作のテイストだから良し! え? 幻魔大戦? と思わせる学生服姿の島村ジョーは石ノ森章太郎ファンだったら喝采ものだろう。赤いユニフォームを、みんななかなか着ない所も実に良い。で、どんどんテンション上がっていって、ラスト直前に「あ、やっぱりこのラストで来たかぁ!!」と思ったところで、物語の結末は意外な形で訪れる。

 このラストは賛否両論あるだろう。商業作品としては駄目じゃない? と僕などは思う。でも、タイトルロールを見ながら原作石ノ森章太郎の文字を見たときに、僕は気がついた。あ、この作品全体って実は原作のシリーズ全体をさらっているんじゃないか? と。一少年が、改造された自分の力を知り、仲間と強力して、死の商人と戦うが、世界は単純な正義と悪との力のぶつかりあいから、正義と悪では、はかれない混沌へと巻き込まれ、人類の造物主と思しき、力などほとんど無意味な相手と対峙、その混沌から抜け出せないまま終劇を迎える(個人的に僕は天使編のラストが009世界のラストだと思っている)。作り直してはいるものの、それはあくまで作り直しでしか無いから、オリジナル世界のその先まではあえて、はっきりとは描かない。それがこの作家の描きたかったRe:サイボーグなのでは無いだろうか? それだけ、この作家も009の世界を大事に思っているのではないか? そう思うと、あの不思議なラストも無理からぬものなのではないかと思ってしまうのだった。

P.S.そうそう、一つ書き忘れた。そんなわけで、僕の感じたこの作品への印象が、作家僕らにそう感じさせようしているものと同じであるなら、きっと、この作品には続編が作られないだろう。009世界にその先は存在しないし、何より、作品のラストに登場したジョーとその仲間は多分”生身”の人間として描かれているように見えたからだ。